143日目
- 筆者
- 2022年9月15日
- 読了時間: 6分
更新日:2022年10月11日
私は6:00頃起床。昨夜は1:00頃就寝。
奈津子は5:10頃起床。昨夜は21:00頃に鎮痛剤を服用し就寝。0:30頃、トイレに起きた。3:30頃、目が覚めてホットパックをもらった。時折、目は覚めたが良く眠れたようだ。
今日は、理学療法が午前のみ、作業療法が午前と午後にあった。
理学療法では、いつものメニューをリハビリ室で熟した後、電極を付けて屋外を歩いた。最後に肩のマッサージを受けた。
作業療法では、病院の公用車を使って、運転席での操作感覚の確認をした。エンジンはかけるが、動かしてはいない。ハンドルの操舵、ウインカー、ライト、ワイパー、アクセル、ブレーキの操作が出来るのかを確認した。「肝心のウインカーに右手が届かない」と奈津子。現状、ウインカーレバーを操作出来るほど右手が上がらないそうだ。後日の教習用の車両での運転では、ハンドルを左手一本で操作できる「ステアリンググリップ」と、通常なら右手で操作するウインカーレバーを左手で操作できる「左ウインカーレバー」を用意して貰えることになった。ペダル操作は、「何とか補助装置なしで出来そうな気がする」と奈津子。やってみなければ、分からないので、前向きに考えながら当日を迎えたいところだ。
早めのお昼ご飯を摂り、50分間程度眠ることが出来た。身体の左側を下にし、横向きになり、右腕で抱き枕を抱いて寝た。そうして横向きになって眠ることが出来たのは、転院後に肩を痛めて以来、初めてだった。
作業療法では、今日と明日で「デコレーションケーキ」を作る予定で、今日はスポンジケーキを焼いた。「右手が、どの作業でもうまく使うことが出来た」と奈津子は言っていた。
![]() スポンジケーキの作業工程
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兄の帰省の件。私は弟として、何か言ってやらなければならない。ただ、聡明な兄のことなので、もう何も言わなくても気が付いているのかもしれない。向こうから電話をかけてこないところを見ると、何をどこまでかは分からないが、少なからず反省をしていると思う。
母は体操を日々繰り返しているが、だんだんと運動強度を下げる方向で姿勢や動作を自分で変えて「楽な体操」にしてしまうことがある。以前は、運動自体を嫌がったり、痛がったりするところもあったので、「運動強度が低くても、体操するだけましかな」と私も奈津子もうるさく言っていなかったが、最近はその辺を厳しく指導している。当時、奈津子と考えた運動そのものと回数は変えていない。
先週、注意する私に向かって、母は「うっさい」と口にするようになった。2、3日続いたので私は母に「買い物をお願いされたりした時に、俺がそう言ってもいいの?」と言った。考え直した母は、それ以降、「うっさい」とは言わなくなった。以前は、注意を受けると罵詈雑言を並べ立てていた母だが、こうしたことを繰り返すことで、最近はほとんど言わなくなった。
この10年ほど前から、兄は弟である私の話を聞かなくなった。兄が帰省の際に使う部屋があるが、エアコンを付けたままドアを開けて外出することが、しばしばあった。帰省のたびに何度か注意したが改善しなかったので、私はきつめに注意したことがあった。その時、兄は謂れのないことでも言われたかのように憤慨していた。
4、5年前、帰省した兄が自室から1、2メートル先にある風呂場に前だけ隠して裸で移動していくところに遭遇した。その光景が目に入った刹那、私には状況が理解できなかった。弟である私でも、ビックリしたのだ。同じフロアにいる私や奈津子に遭遇する可能性を認識はしているが、「実家≒自分の家=裸になってもいいところ」という、少しアホな方程式が兄の中で成立していたのだ。「ちゃんと脱衣所で着替えろよ。奈津子に見られたらとか考えないわけ」と抗議したが、兄はそんなことも覚えていないのかもしれない。
奈津子のことで、少し勉強した神経回路のシナプス可塑性。そして母の老い。私が直面するその思考の片隅で、幾度か兄のことを想った。
兄は独り者だ。学生時代や就職してから寮に暮らし、30代頃から概ね独り暮らしをしていたのだと思う。女性とお付き合いしたこともあったと思うが、詳しい話はよく知らない。友人や職場の人間関係、出入りする飲食店での人間関係など、他者との関わりはあるが、家人、隣人という人が基本にいない暮らしをしている。人生の大半がそうだったのだ。
お風呂の件の当時、「いったいどうゆう頭の構造してるんだ」と私は思っていたが、多分、本当にそういう構造をしているのだ。マイナスのシナプス可塑性で、必要なくなった神経回路が減退し、家人、隣人の存在や気持ちを認知、斟酌する能力が衰え、本当に考えられなくなっているのではないのか。
元々の性格もあるので、断言はできない。ただ、それだけじゃないと思うのだ。
例えば、亡くなった親友のことを時に思い出すのだと思う。その時には、記憶の引き出しを開けて、話をした内容、音声、場所、一緒に観たものなど、記憶している情報を展開し、脳内で再生しているのだと思う。それは、また忘れないように上書きしてから、引き出しに仕舞っているのではと想像する。
あるいは、東京での職場の上司、部下、同僚や友人などとの交流でも、人間関係における情報を、引き出しに仕舞ったり、出したりして生活していたのだと思う。
ただ、コロナ渦でテレワークが主となり、外食することも減っているのであれば、そうした他者とのコミュニケーションを持つ機会が少なくなっているのではと思うのだ。増してや、独り暮らしの都市生活者は、「家族」という最小単位の社会を日常的に持たず、孤独が加速すると思料する。
兄はコロナ渦以前から、長い年月をかけ「家族」とそれを構成する、個々の人格にまつわる情報を、処理出来なくなりかけていたのではないか。つまり、引き出しを開けたり、そこに情報を残すことが出来なくなっていたのではないかと思うのだ。マイナスのシナプス可塑性で神経回路の目が粗くなり、そうした情報の読み書き、応用が出来なくなった。
だから、弟である私が何を書いても、何を言っても、何も覚えることが出来なかった。そう考えると4月29日のことも合点が行く。
もしそうだとしたのなら、兄が自身を見つめることも必要だと思うし、家族それぞれの価値観や存在を認めることも必要なのだと思う。たとえばそれが、出来の悪い弟だとしてもだ。レイモンド・チャンドラーとか養老孟司とか、兄が読破した何万という多様な書籍の行間に書いてあったんだと思うので、強さ、優しさの有り様を、ここで書く必要も無いだろう。
この記録は、まだ兄には読ませていない。そのうちメールでもして、読ませようかと思っている。それを兄が読むのか、どう考えるのかは兄次第だ。兄は何も変わらないのかもしれない。その時は、私が母にそうしたように、兄にも厳しく接することになるのだろう。そこは長幼の序が、機能しない世界だ。「本当にそれでいいのか、親のケガした部位くらいは覚えとけよな」とだけは、伝えようかと思っている。
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リハビリ映像
奈津子の朝昼晩ご飯
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