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138日目

  • 私は6:10頃起床。昨夜は0:30頃就寝。

  • 奈津子は5:00頃起床。昨夜は21:00頃に鎮痛剤を服用し就寝。0:00頃、トイレに起きた。2:10頃、目が覚めてホットパックをもらい、鎮痛剤を追加で服用した。良く眠れたようで、朝方、すっきりとした顔をしていた。

  • 今日は、午前に理学療法と作業療法、午後に作業療法と言語聴覚が設定された。

  • 理学療法では、いつものとおり、仰向けになりマッサージを受け、ストレッチポールとバランスボールで体幹強化のトレーニングをした。屋外でポポと歩行訓練したが、涼しく感じ、気持ちよく歩くことができたようだ。バケツに汲んだ温泉に腕を浸けてマッサージを受けているが、その状態でバケツの中で腕を動かしてみたらしい。動作としては、振り子運動と同じ動作をした。前後左右、バケツの内周に合わせ時計回り、反時計回りに動かした。動作は奈津子も若干力を入れているが、理学療法士が上腕を掴んで動かしたそうだ。同様の動作を、毎回していたが、その振り幅は然程多く無かった。しかし今日は、バケツの内側ではあるが、最大限振ることが出来たらしい。理学療法士も、まだ回復する余地がある、という趣旨のことを言ってくれたそうだ。

  • 作業療法では、「痛み日記」のタイピングと電卓、コインを使った訓練をした。最後に軽めに、肩と腕のマッサージを受けた。

  • 午後の作業療法では、ビーチボールで腕を伸ばす訓練と「もぐらたたき」をした。最後に、しっかりと腕と肩のマッサージを受けた。来週は、病院の車の運転席に、着座して、動作の確認をする予定だと説明を受けた。

  • 来週、退院するお婆さんと足湯に行った。たまに、おしゃべりや売店で買い物を一緒にしたり、毎日お風呂に行ったりと仲良くしてもらっていた。奈津子は少し寂しさを感じているようだ。

  • 言語聴覚では、写真絵本「ミッケ!」を2問と、イラストの描かれた紙を渡され間違い探しを2問やって、全問解けたそうだ。最近、奈津子が作業療法の時間に作ったお菓子について、食べた感想を詳しく話してもらったそうだ。「とっても美味しかった」と言ってもらえて、奈津子も嬉しかったという。

  • 今日は、肩と腕の調子もよく、一日、つつがなく過ごせたようだ。「痛みに対する不安が少なくなった」と奈津子は言っていた。


  • 4月29日。レンタカーを借りて家に帰ってきた兄は、玄関のチャイムを連打し、「帰ってきましたよぉ」と大声で叫んでいた。

  • 玄関から近くにある母の居間で体操をさせていた私は、すぐに玄関に行き開錠した。兄は家の中に入ろうとしたが、「外で」と私は兄を制した。兄は土産物を私に差し出し、「これを渡しに来たんだ」と言った。「だからいらないって言っただろ」と思いながら受けとり、母を呼んでくるからそこで待てと兄に言い、母にマスクをつけて玄関先に出るよう促した。ちなみに土産は2つあった。兄は、玄関の外ではあるが、玄関から離れようとしなかった。

  • 母が出てくるまで、兄は大きな声で、ぶつぶつ文句を言っていた。たまらず「悪かったって言ってんじゃん」と私は言った。兄は「説明が欲しかったけどな」と言った。私は呆れた。私がメールで書いたことも、電話で言ったことも、何もかも覚えていないのだ。

  • そう言えてしまう兄に「なんでそうなる」と不思議に思うのと同時に、仮に記憶がないにしても、母が運転しなくなってから、送り迎えはすべて私がしていたはずで、それが出来ないと言っている私の言葉の意味を、何一つ考えられないのは愚かしいと思った。

  • 近所迷惑も考えず、兄は玄関先で大きな声で怒鳴っている。大方、私を非難するような言いぶりだ。私が「テンパっている」と兄は何度も言っていた。「いいから、言いたいことを言ったら帰ってくれ。非常事態なんだよ。一秒でもいいから早く帰ってくれ。私に母の体操の続きをさせて、注射を打たせてくれ。そして、奈津子のことを考えさせてくれないか」。内心、そう唱え終わった後も、兄はぶつぶつ言っている。私はこの時点でかなり冷めた目でその様子を見ていた。そんな兄を見たのは初めてだが、母が憤慨する様とよく似ていた。

  • 「テンパる」という言葉は、「聴牌(テンパイ)になる」という麻雀用語に語源を持つ。「聴牌」は、あと1個、必要な牌が入れば上がれる状態になることだ。

  • 兄がどれほど、麻雀を知っているのか知らないが、私は聴牌になどとっていなかった。上がりを放棄し、完璧に降りていたのだ。この局で兄の上がりを阻止し、流局するのを待っていた。私に言わせるとテンパっているのは兄の方だった。

  • 兄は「理想的な帰省」という手役で、レンタカーを借りて「喰い下がって」でも、聴牌にとったのだ。そして、その兄の手役は、私にとって「コロナ感染」という役満級の手役に見えていた。

  • テンパっている兄にかける言葉も時間も無い。ここで分かりあうことを私は諦めていた。別に仲違いしたい訳ではない。「兄弟なのだ、後で説明すれば分かってもらえるのだろう」。そう、思うしかなかった。

  • このことで、私がコロナ感染していたら、多分、一生私は兄を恨んだだろう。それこそ、兄弟仲の危機なのだ。

  • この時点で、仮に私が罹患したら、奈津子のバックアップをすることも出来ず、奈津子のベットからの離脱も、本格的なリハビリの開始も大幅に遅れていたはずだ。後の機能回復の伸び率に大きく影響する。その1日の持つ意味合いは計り知れないのだ。

  • あと、既往症のある私は、コロナ感染すると、ころっと死ぬ恐れもある。それは致し方ないことなのだが、今死ぬわけにはいかない。死ぬのが今では困るのだ。

  • 気が済んだ兄は去った。22:00頃、私は兄にメールを送った。

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智則です。今日は気分を害させて申し訳ありませんでした。

再度、帰省の日程の変更のお願いをとも考えましたが、正直その暇がありませんでした。

26日に救急搬送され、27日の朝までは安定していたようです。

27日朝急変し、検査の結果、脳梗塞の所見ありと診断されました。

梗塞の箇所は左脳の運動を司る部位で、右の両手足、顔の右側に影響が出ていることと符合しているそうです。

ただこの時は、まだ右半身に力が入れられる状態で、何とか歩行もできていました。

昨日28日の早朝3時ごろ、容態が悪化しさらに手足に、力が入らなくなりました。

主治医の説明を受けたり、自分で脳梗塞について調べたり、奈津子とはLINEの電話やビデオ通話で話をしたりして様子を聞きました。

必要なものはないか、自分にできることがないか、奈津子のことをずっと考えています。

病院の食事に食欲がわかないので、リンゴを剝いたものやおにぎりなど彼女が普段食べていて食べやすそうなものを準備して差し入れをしています。

寒いから軽い毛布が欲しい、夜中目が覚めても時間が分からないから自発光の時計が欲しい、スマホの操作が左手しか使えないからベッドに固定できるものが欲しい。ニーズがあることはもちろん全部応えてあげたい。

奈津子の両親とのやり取り、母上に関する日々のルーティンなど、私にしかできないことはやってますが、それ以外の時間はできるだけ奈津子に費やしたいというのが今の私の気持ちです。余裕がありません。

これで説明になっているのかどうかわかりませんが、ご理解いただければ幸いです。

電話の向こうで泣いている彼女を見ると、たまらないのです。「泣かないで。大丈夫だからね。」そう声をかけるのが精いっぱいなのです。

彼女が心を穏やかに過ごせるよう、そして回復できることを祈りながら、しばらくこんな日々が続くと思います。

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  • 翌日、4月30日の午後、兄から返信があった。

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君と彼女の心配、不安を言葉では消す、または減らすことは出来ないと解っているけれど。

最初に連絡を受けた時に、もっと詳しく君が考えている事を確認しておけば良かった。と今更ですが。

テンパっている君に何を言っても、、、と思い、彼女の具合の悪さに思い至ります。

君に謝らせた事は当方の至らなさだと考えています。

事態がどの方向に変わるにしても、連絡下さい。

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  • これを読んで、兄の理解がどれほど得られているのか、正直図りかねた。そして、テンパっていた人間に「テンパっている」と言われるのが、これほど癪に障るものかと苦々しく思った。このメール以降、私は兄と連絡をとっていない。何をどうやって言ったらいいのか思いつかなかった。私は、このことを棚上げしていた。長くなったので、続きは後日に譲る。


18:52頃の3方向写真

06:23


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18:50


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21:00


 

名前の筆記

右手による筆記が、少しずつ上手になっている。線が滑らかになってきた。今日は漢字も書けた。文字が斜めになっているのは、写真の歪のため。

​今日の筆記

​2、3週間前の筆記

​4、5週間前の筆記









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リハビリ映像

 

奈津子の朝昼晩ご飯

お昼ご飯は、初めてパスタを作ったが、奈津子の感想は「フツー」だった。








 

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139日目

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