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39日目

  • 私は4:30頃起床。昨夜は23:30頃に寝た。

  • 奈津子はなかなか朝通話してこなかった。結局通話してきたのは、私が朝のデリバリーに出かける直前、ガレージのスライディングドアを開けている時だった。6:50頃、挨拶だけして私は病院に向かった。奈津子は2日連続寝坊ぎみである。

  • 気候が夏の様子を見せ始めている。私は10日くらい前から半袖Tシャツで朝から晩までデリバリーしている。Tシャツが制服みたいなものだ。

  • 夕食のデリバリーの帰り道、たまにロードスターをオープンにして帰る。夕暮れ時、気温も日差しも心地のいい日の運転は気分転換になる。少し寒いが、風に撫でられると心地がいいのだ。昨日もオープンにして帰ったのだが、私は幌を閉め忘れていた。時間も無いし、このまま行くかととりあえず出かけるが、思いのほか厳しめに差し込む朝日に少し後悔した。

  • 昨夜奈津子は、22:15頃就寝。トイレのため0:00頃起き1:00頃再び就寝。4:30に採血のため起こされ5:00頃再び就寝。6:30起床。トータル時間はいいが、質良く寝れなかったかもしれない。

  • 奈津子は、病棟で使う装具を今日も調整してもらったと言っていた。踵がちゃんと装具内に落ち着くようになったそうだ。

  • 私は7:30頃から12分間、母のリハビリに立ち会う。奈津子が入院してからも毎日欠かさず立ち会っている。同じ体操を12:30、17:00の一日3回行っている。つまり私は毎日奈津子の食事デリバリーと前後して母の体操に立ち会っていることになる。

  • 87歳の母は今年1月ごろ自宅で転倒し、左上腕を骨折していた。その時も救急車を呼んでいる。手術せず自宅療養しながら自然に骨が癒合するのを待ち、徐々にリハビリをし、ようやく4月ごろから自炊をするなど普通に暮らし始めたところだった。3か月間、奈津子と二人で母の生活を支えることに腐心した。

  • 認知の弱くなっている母はリハビリを拒むことがしばしばあり私たちを困らせた。今も正直困っている。苦労の甲斐あり、上腕の可動域は前方90度を超えるところまで回復している。弱っていた足腰もだいぶ動くようになった。ひと月ほど前から骨量を増やすため、自己注射も始めている。奈津子が入院する前は主に奈津子が毎夕注射を打ってあげていた。

  • 母は、ここ15年間で度々骨折している。左足の踵、鎖骨、足の中指骨、今回で4回目だ。胃の全摘もしている。結果、当時ものすごく太っていた母は適度に痩せた。このことは母の息災に貢献したと私は考えている。高齢になり胃もないのに、なぜか今でも食い意地は張っていてよく食べる。この人はきっと長生きする。それなら寝たきりと要介護で余生を過ごすより、互いに介護予防に努め、なるべく自分の足で動ける生活をしていけるよう努力したほうがいいと私と奈津子は考えている。しかし、当事者である母はあまり乗り気ではない。説明するとその時は納得するが、数日後には綺麗さっぱり忘れてしまうのだ。

  • リハビリを体操と言い換え、腕とは関係ない足腰の運動も混ぜて約12分行う。椅子に座って前屈。机上のワイピング。左腕の振り子運動。もも上げ。肩周辺。膝、つま先、くるぶし、股関節の屈伸。これをワンセットにし朝昼晩行っている。

  • 2月ごろ、母の足は運動不足とリュウマチで大きく腫れあがっていたが、最近では無くなっていた土踏まずが確認でき、足らしく見えるようになっている。また、当初はしゃがむことも出来なかった。足を屈伸させてもスキージャンプの高梨沙良の滑走時のような姿勢が精一杯。これだと入浴や転倒時、起き上がることが出来なくなるという問題意識があった。今では手を突きながらだが腰をおろし、蹲踞(そんきょ)の姿勢ができるようになっている。奈津子もお義母さんの足取りが軽くなったと言って喜んでいた。

  • 骨折後、数日間、夜間、母は度々転倒を繰り返していた。フローリングの上でうずくまり、トイレまで間に合わない。最初は左腕の痛さで体の力が抜け転倒しているのかと思っていた。

  • 母は睡眠誘導剤ハルシオンを常用していた。母の生活リズムが崩れ切っていたので骨折後、この服用は23:00、そしてトイレに行って就寝、朝は6:00に起床。3食の時間を必ず守り、日中は居間で過ごすよう徹底していた。

  • ある夜、23:00に様子を見に行くと母はすでに寝ていて、体をゆすっても頬をたたいてもまったく反応しない。しばらくすると起きたのでトイレに行ったかどうかを尋ねると、トイレに行くと言い起き上がろうとした瞬間ふらついていたので私は制止した。しかし、またトイレに行くと言い2歩ほど歩いたところで棒のように倒れ、ベットの端にバウンドしフローリングに落下した。母は歩きながら寝たのだ。その後、母は「なにがあった。何が始まった。」というようなことを言っていたが、おそらく母は覚えていないだろう。

  • 私はハルシオンが効きすぎていて意識レベルが低くなり、尿意を催してトイレに行こうとするが、その途中で寝てしまい擱座、転倒を繰り返したと推測した。骨折当夜も、同じようにトイレの行きか帰りで歩きながら寝てしまったのがその原因だろう。私はその次の日からハルシオンを中止させた。骨折より睡眠不足の方がましだからだ。しばらく夜眠れないと愚痴をこぼしていたが、最近は言わなくなっている。夜間の転倒もその後ない。

  • 今日は2か月ぶりに母のレントゲンを撮影。骨折箇所の確認をした。正面から左肩を撮影した写真を見ると3/4程度しか癒合していないのが見て取れた。期待していたが、前回と大きく変わってはいなかった。ただ、欠損部にじわっと骨が成長しているような痕跡が見えた。これが注射により適正化された血中カルシウムの効果なのかと思った。

  • 骨折当時、母の骨折箇所のレントゲンとMRI画像を見て私は少し驚いた。もともと骨の厚さが非常に薄いのである。母の骨量が低いのは知っていた。しかし、卵の殻のような厚さのモノコックが破断している様をみると、折れていることよりその骨の薄さの方に目を奪われた。まさかこれほどまでとは、これで腕を支えることができるのだと、妙に感心したのだ。

  • 昨日まで毎週木曜日、母はリハビリに通っていた。私はその送り迎えをしていたが、今日の診察でそのリハビリを終了することとなった。正直、奈津子のバックアップと母の面倒を見ることを両立させるのは時間的に難しいところがある。その一部が減るのはありがたい。骨はともかく筋肉、筋はいい方向に治せている。毎日、家での体操を一日三回することで、肉体の衰えを軽減し、足腰の血流を上げる。そして毎晩注射を打つ。当面、母の肉体的にはこれで様子を見ればいいかと私は考えている。

  • この5か月間、毎日、母と向き合ってきた。そして毎日、母の心無い言動に私と奈津子は耐えてきた。ケガをする前は、2世帯住宅なので一日二日会わなくとも特に問題はなかった。嫌な思いをしたら、しばらく会わなければよかった。だが、母がケガをして食事や着替え、入浴、トイレ、リハビリなどの世話が必要で、私と奈津子は毎日それに直面しなければならなくなった。

  • 毎日のこととなると本当に苦痛で、毎晩、奈津子と互いを慰め、何とか乗り越えてきたのだ。

  • 私は比較的ストレス耐性は高い人間だと思っている。子供の頃から体のことについて心無い言葉にさらされ、少々のことなら「好きに言えばいい」と表情を出さず相手にしない能力を持ち合わせている。不幸な能力である。そんな私でも、自尊心を日常的に傷つけられると、心が病んでくる。

  • 奈津子が入院した後も、母は変わらず私を攻撃し続けた。もう忍耐の限界だと思い、私は5日ほど前から「私は毎日貴方の心無い言動で傷ついている」と母に言葉を尽くして説明することにした。そんな言動があった場合、その都度一つ一つ指摘し、私はこう傷つくんだよと説明するのだ。

  • 最近の母は自分の置かれている立場や年齢、相手の気持ちや都合などをまったく考えていない。そして考えることすら出来なくなっている。このことは、ある事件をきっかけに、私の知るところとなった。その事件についてはまた後日記したいと思う。

  • 今日も母とこんなやり取りをした。「あんたは奈津子さんのことだけ考えていればいい」「その言い方は俺を傷つけるよ。あんたのことを考えなくていいってことになるよ。そうなると病院や買い物に連れて行ったり、体操や注射もしなくていいということになる。それでいいの。違うだろう。俺はあんたと奈津子の両方の面倒見ようとして頑張ってるんだよ。それが分からないの。あんたの面倒見なくていいの」「色々面倒かけて申し訳ないと思っている」「親なんだからね、面倒見るのは当たり前だと思っているよ。でも、俺だって傷つくんだよ。今日は体操はいい。疲れているからいい。やりたくない。どうでもいい。もう殺してくれ。そんなことを毎日毎日言われるんだよ。一体何のために誰のためにやってるのか、そこをあんたは考えてくれてない。人の心を分かろうとしてないんだよ。思考を放棄してるんだよ。頭の中で考えられなくなってるんだよ。それでいいの。奈津子の食事を作る時間、運ぶ時間、あんたの面倒は見れない。でもそのことすらあんたは頭に入れてくれない。本当に苦しい。分かって欲しいんだよ、みんなで協力してやってるんだろ、考えて欲しいんだ」。このやり取りを何度も何度も重ねている。他の心無い発言や行動についても、母が理解出来るように言葉を尽くして何度も何度も説明する。母の思考演算を補助し、考える力を取り戻してほしいからだ。

  • 母は少し涙を浮かべながら何度も頷いていた。どれほど私の言ったことを理解しているのか、明日どれほど覚えていられるのか分からない。でも、今日より明日。ほんの少しでも自分のこと、自分の体調、家族のことを、家族の心情を理解できる母になってくれたらいい。そう思っている。

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奈津子の朝昼晩ご飯







 

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40日目

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