21日目
- 筆者
- 2022年5月16日
- 読了時間: 9分
更新日:2022年9月30日
私は4:30頃起床。血圧を計測すると131-88だった。まだ高いが少し安心した。しかし、少し普段ない動悸も感じる。まだ怒りの炎がくすぶっているのかもしれない。
5:00過ぎに奈津子から着信。今日は早いなと思いながら通話を開始した。体調は良さそうだと言っていた。今日は起きるの早いね、というと「まだ5時か、もうひと眠りする」といって奈津子は再び眠ることにした。
6:00過ぎに再び通話。奈津子は今まで寝返りをするとき、右を下にしたり左を下にする際、痛くて夜間に目が覚めていた。昨夜はそれが無く、よく眠れたそうだ。
奈津子の朝食を7:20にデリバリー。まとめて炊いた3合のご飯を奈津子の1食サイズに小分けにし冷凍庫に詰め込むのに手間取り、少し遅くなった。
ちょうど病棟師長が受付カウンター付近にいた。私は差入れを頼みながら、昨晩あったことを説明し遺憾の意を伝えた。師長は今後は気を付けますと謝罪してくれた。今回のことで私は「身の毛がよだつ」という言葉の本当の意味が初めて分かったような気がした。私の血圧と同様に、それで溜飲が下がった訳ではないが、これで終わりにしたい。そして終わりにして欲しい。
奈津子は体が軽くなった様な気がすると言っていた。指先など細かな制御は出来ないが右の足と手があまり意識しなくても体の軸に沿って連動して動かせるようになってきているのかもしれない。
奈津子からリハビリ中に撮ってもらったビデオをいくつか送ってもらっている。療法士に指導してもらいながら、右の肩、肘、手首、5指の第2関節を、個別に動かしたり、連動させたり、補助もなく動いているのが分かる。思っていたより学習のスピードが早いと思った。
今日3つ目のリハビリは歩行訓練で、階段昇降と歩行訓練を行った。歩行訓練は左手で杖を持ち、一番軽い装具を着用し、トータルで150メートル程歩いたそうだ。杖、右足、左足の順番で前進する歩き方。先日見た歩きかたとはまた違う歩き方だ。右足が前に出るようになり、装具の助けで体重の半分以上の荷重に耐えているから、出来る歩き方なのだろう。
今日の昼食で初めて奈津子に揚げ物を出した。エビフライにタルタルソースをかけて出した。おいしかったと言っていた。
今日、私は数年ぶりに学生時代のサークルの先輩と電話で話をした。フランス語が堪能な気のいい女性だ。互いの近況を話し、少し元気になれた気がした。「貴方、ちゃんとご飯食べなさいよ。貴方がしっかりしないといけないんだから。これからなんだから。」と言われた。私は夕食のデリバリーの帰り、牛丼を買って帰り、野菜を少し切り、インスタントのしじみの味噌汁に二十日大根の葉を入れ、晩御飯を食べた。おいしくはないが無理やり食べた。
もう一人の先輩の連絡先を聞き電話をしてみた。彼女と彼女の夫はともに私の所属していたサークルの先輩だった。数年前、彼女の夫が脳梗塞で急逝していたという話を聞いていた。彼女は憔悴し、サークルの誰にもそのことを一年ほど話せなかったという。夫には当時、麻雀やビリアードなどのくだらない遊びや長電話によく付き合って貰っていた。今でも鮮明に覚えている。飄々としているが頭がよく、誰とでも話ができる明るい人だった。私はお墓参りにいつか行きたいと思っていたが、コロナ渦でそれを果たせずにいた。彼女と一度話をしようと思っていたが、なんと言葉をかけていいのか分からないまま時間だけが経過していた。
懐かしい声にほっとした。お互い年を取ったねと、しばらく取り留めのない話をした。「お墓参りは、急がなくても、遊びに来れるようになったらでいいよ」「いつになるか分からないけど行くね。近いうちに、また話をしよう。」そう言って電話を切った。
日中、主治医から私に電話があった。奈津子が昨日、部屋の中を壁伝いに数歩歩いたという話を主治医が聞き少しびっくりしたそうだ。転倒して骨折でもしたら大変なことになると。本人には「そういった勝手な行為は危険なので今後は注意してください。訓練はリハビリでやるように。」と、お灸を据えたということだった。そう聞くと奈津子のやった行為は危険だったかもしれない。骨が折れたら右でも左でも確かにリハビリに支障が出てくる。頭もまずい。「それはすみませんでした。」と私も謝っておいた。電話を借りて瞼の左右差について聞いた。左の瞼が腫れ気味な件だ。主治医は「それは右が麻痺しているので、左右差は残るかもしれません。その可能性はあります。」ということだった。右の表情筋とかが麻痺してると、左目の瞼が相対的に腫れ気味になるのか。どちらかというと右の瞼のほうが以前の姿に近い。そこが私は理解できないでいた。電話で話をしていてもこれは伝わらないのかと私は諦めた。機会があったら以前の奈津子の写真でも見せて改めて尋ねようと思った。
この左右差と左瞼の腫れについては、私なりの仮説がある。最近、私は脳科学サイドから見たリハビリテーション関係の文献をネットで飛ばし読みしている。ニューロリハビリテーションという概念があるらしい。就寝前にスマホでそうした文献を読むと眠くなり丁度良いのだ。これは、そうして得た浅知恵に立脚した仮説だ。
現在、リハビリのある日に毎日確認している現象がある。この現象は私が先に気付き奈津子も確認し、二人で共通認識している。朝の顔、昼の顔、リハビリがすべて終わった時の顔が違うのだ。徐々に左右差が無くなる。私なりに点数をつけると、朝60点、昼70点、夕90点くらい左右差が減少することで顔が良くなるのだ。
麻痺をしている右側は朝から夕にかけて大きな変化はない。以前と比べると口角、目じりがほんの少し下がり気味ではあるが、だいたい以前の顔である。朝の顔の特徴は、左側の口角や頬が必要以上に上がって、瞼が腫れていること。ちなみに顔の左側は右脳が担当している。
この朝の顔の左右差をもたらしているのは右脳優位によるものではないのかというという仮説だ。この不均衡が左側の顔の筋肉に必要以上に筋電位を与え、血流量の上昇をもたらしている。それが、左側の腫れと歪みになって可視化されるのではないか。
そして、日中、リハビリを重ねることによって、損傷した左脳の活性が上がる。活性が上がることで左右両側の脳の優位性が均衡に近づいていく。
結果、右脳の優位性が減少し、顔左側の腫れや歪みが無くなっていくことになる。というものだ。
私は、ここまでは辻褄が合いそうだなと思っていた。しかし、また違う同じく試験用ラットを用いた研究の文献を読み迷子になってしまった。
その文献にはこんなことが書いてあった。脳梗塞など脳にダメージを受けた場合、脳内のほかの部位がその機能を代替する。実際にその部位はどこなのかという位置を特定した。その場所は損傷脳と反対の脳の同位置である。神経回路は損傷脳とは反対の脳へ接続するように再構成される。
これを今の奈津子の状況に当てはめると、診断画像で左脳内で真っ白く見える領域の鏡像が右脳内同位置にマッピングされ、そこが右半身の運動制御をしているということになる。つまりリハビリで使っているのは右脳の中のその領域ということになる。
それでは右脳の活性が上がり、より右脳優位になってしまうのではないか。仮説とバッティングしてしまうのでは。と、数日間、料理や運転をしながら色々と考えていた。
参考にしたのはどちらも新しめの文献で、多分どちらも正しいのだろう。仮説自体に無理があるのか。両立するにはどうすればいいのか。
私は当初から「脳の活性」という言葉の意味を試験用ラットの脳に電極を当てて調べるとか、活性状況の断層画像的に色のつき方で見比べたりと、そうした見方で、活動量が高いほうが活性が高いのだとイメージしながら考えていた。つまり、今回の仮説で言うと左右の大脳の活性の差異が右脳優位になると考えていたのだ。
だが多分違うのだ。車を運転しながら閃いたのは「どこが左右脳の優位性を決めているのか?あ、脳幹か。どっちでもいいんだ。」である。
脳幹は中枢神経系を構成する重要な部位が集まる器官。一株のカリフラワーを立てた状態をイメージすると、花のほうが脳、軸のほうが脳幹という位置関係になる。脳幹は頭の真ん中あたり、丁度眼球くらいの高さから下に降りている。その先は脊髄に繋がる。
脳幹はいろんな仕事をしている大事な器官。分かりやすくするため、ここでは手足などを動かす運動機能にかかる情報伝達に限定して考える。
左右の脳、脳幹と脊椎が神経回路を通じ、情報伝達・反射などを行っている。左脳は右半身、右脳は左半身を担当し、それぞれ神経回路で脳幹に繋がっている。厳密に言うと、どうやら脳幹を経由しない伝達路もあるらしいが、9割以上の神経回路は脳幹をターミナルとして体の各部位と繋がっているようなので、ここでは脳幹のことだけを考える。
脳には1000億を超える神経細胞が存在し、神経細胞が互いにシナプス結合を形成して、記憶や学習に必要な神経回路を構築している。回路と言っても実際に電線の様なものがある訳ではく、大きなネットワークの中で必要な部位同士、ポイントAとポイントBの間が情報送受信する様を、概念的に回路と言っている。
全身の随意筋は約600あると言われている。半身だとその半分で約300。その数の筋肉を制御するために必要な神経回路が備わっているはずである。
一本の神経回路を考える。脳幹側の起点をA、損傷前の脳神経細胞をBとする。仮説を立てた後に読んだ文献によると、Bと鏡像位置にあるB’に向けて回路が切り替わることになる。
脳梗塞が広がっていく過程で、Bは徐々に活性を失い、やがてその活動を終える。おそらくその際、Aは左右脳両側に位置するBとB’の両方に回路を開きその活性の差異を見ていると考えられる。より優位な方を選択するためにである。
これは余談だが、急性期にリハビリをすると予後が良くなるのは、Bが優位性を保っている束の間、その脳神経細胞にかかる運動のフィードバックをBとB’の両方に流すような、そんな都合のいい仕組みが設えられているからではないかとも考える。
いずれにせよ、BからB’に切り替わるのは、その時期をAが見極め切り替えている。言い換えるとこの時点でAからすると「働きがよければ右でも左でも、どっちでもいい」のである。梗塞が広がる過程で、この神経回路が五月雨式に切り替わる。その数はおそらく万単位以上。すべて切り替え終わったら、主治医が言うところの「麻痺の悪化が止まった」状態になる。
Aは神経回路の数だけある。反対側をA’とすると、それはAと同数存在することになる。それをグループA、グループA’とまとめる。グループAとグループA’は鏡像関係で、例えば「右手の人差し指の制御に関係する脳神経細胞に接続する起点」をAとすると、鏡像位置にあるA’は「左手の人差し指の制御に関係する脳神経細胞に接続する起点」となる。つまり、左右両側、対となるように同じ役割を担う回路の起点が鏡像関係となるよう整然と並んでいるのではないかと考える。
もっとも構造的にそうなっているのか、機能的にそうなっているのか詳しくは分からない。いずれにせよ脳幹には、本来の両側脳毎にこういった関係性を持つ大脳とのインターフェースが備わっているはずである。
私はこのグループAとグループA’という二つのインターフェースの活性が両側脳の優位性の評価基準ではないかと考えた。
そう考えるとAにとっては、記憶演算する領域、大脳がBでもB’でも、左脳でも右脳でも、Aを介して神経回路接続しているという点で優位性の評価が変わらないからだ。
これで仮説に対して矛盾するものではないと、私の中で整理が出来た。
ここで、奈津子の顔の左右差の謎について話を戻したいのだが、長くなるので後日に譲ろうと思う。
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リハビリ映像
奈津子の朝昼晩ご飯
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