20日目
朝一番の通話。表情がいい。左目の瞼の腫れが引いて寝起きの割には遠目に見るとほぼ左右差がない状態。よく見るとやはり左右差はあるが。声の調子も話しぶりも、随分以前に近いものになって来ている。
昨日は、YouTubeでお菓子作りの動画をよく見たそうだ。日中、3時間程度はベットサイドの椅子に座り、タブレットで動画を見ていたらしい。
奈津子は夜はよく寝れたと言っていた。しかし、LINEのスタンプを見ると22:00くらいには寝ていたが0:00くらいに中途覚醒したことが分かる。
食事は3食、私の作ったものをほぼ完食している。「全部食べたよ」と毎食後に奈津子は私に言っている。当初は食べやすいものをと思い、いろいろ私なりに工夫していた。途中から「奈津子、これ食べられるか」と確かめる様にカットの仕方や食材を変えてきた。結果、咀嚼もなれてきた奈津子は、フォークで食べられれば、だいたい何でも食べられるということが最近分かった。
今日も退屈していた。YouTubeもずっと見ていると飽きると奈津子は言い、いい時間の使い方を探していた。主治医に、歩行器での歩行訓練もリハビリの先生に聞いてからとストップをかけられたらしい。自分でできる座ったり、手を動かしたり、そうした自主トレを休み休みしていたが、自分で疲れているのかよく分からないと言っていた。手ごたえとか時間管理的なところで誰かに指導してもらった方が分かりやすいのだろう。
17:40頃、いつものように夕食をデリバリーしていた。午後は弁当以外の物も合わせて差し入れる。この日は、前日受け取っていた洗濯ものを畳んだものと、水で流さないタイプのヘアトリートメントと午後ティーの大きなペットボトルを差し入れた。
「こんばんわ」と病棟の入り口で声をかけ、差入れを頼んだ。対応してくれたのは若い女性の看護師だった。午後は差入れの時、昼ごはんの空き容器や不用品、洗濯物などを持って帰る。私がそれを待っていると、先ほどの看護師が差し入れた荷物も持って帰ってきた。持ち物に名前が書いてないと、折りたたんであった小さめのタオルをくしゃくしゃにして、手でそれを振りながら、鬼の首でも取ったかのように私に詰め寄ってきた。
持ち物に名前を書くルールは認識していたし、実際、私はあらゆる持ち物に奈津子の名前を印刷した小さな紙を透明な養生テープで貼り付けていた。USBケーブルから小さなシャンプー容器、コップなどだいたいの物にこれでもかと貼り付けていたのだ。ただ、このタオルはマジックで名前を書くといってもインクが滲んでまともに書けないことは見たらわかるはずだ。第一、私自身そんなタオルで顔を拭きたくないし、奈津子にも使わせたくなかった。
実際この2週間なにも問題はなかったし、ほかの看護師もそんなに名前つけなくてもいいよと奈津子に言っていた。私はこうして名前を書けとうるさく言われるのが嫌で、そう奈津子に言われても記名を続けていた。例えばこの日はヘアトリートメントに養生テープで貼り付けていた。
今のところ個室で自由に歩けない患者が、どこでこのタオルを無くすというのか。こうした工夫は、認知の低下した高齢者や小さな子供が物を無くさないように施すのが目的で、面倒だからマルっと全部書けと言っているだけではないか。それともこの看護師は、自分のタオルやハンカチにマジックで名前を書いているんだろうか。そんなことはない。普通の大人はそんなことはしない。奈津子も麻痺はしているが認知力・判断力・記憶力もある普通の大人だ。
拒絶する私に、その看護師は当惑するような妙なつくり笑顔で、書いてもらうのがルールだと3回くらい繰り返し名前を書くよう要求した。私は「個室ですよ。部屋見てくださいよ。だいたいの物に名前つけてますから。」と少し大きな声を出してしまった。この察しの悪さに疲れていた私は激高してしまったのだ。
するとその看護師は「そこまでおっしゃるなら」と言い、本人に書いて貰うがそれでもいいかと尋ねてきた。この人間は正気か。右利き右麻痺の奈津子の左手にマジックを握らせてこの名前の書きずらいタオルに名前を書かせる気なのか。それを想像しただけで私は怒り心頭だった。奈津子を患者として良く知らなかったのかもしれないが、言っていいことと悪いことがある。私は「このタオルは無くなってもいいですよ。」と言い捨てた。
見かねた男性看護師が割って入り、そこまでおっしゃるならと言い、差入れを処理してくれた。ただ「そこまでおっしゃるなら」をリフレインし、「そこまで」にかなり力を入れた険のある言い方だった。私としては「そこまでおっしゃるなら」と言われるような無理なことを言っているつもりはなかった。そこまでおっしゃってるのはあんた達だろう。そう思っていた。
このタオルは、入院後、奈津子が重篤化し、色々な物が新たに必要になり、ドラッグストアで買い物をしていた時に、たまたま目にとまり購入した。マイクロファイバーの吸水性が良さそうな素材。少し小さめのタオルで、やわらかな手触りと色合いがどことなく「ぽぽちゃん」と似ていた。入院生活を送る奈津子にいいかもと思い数枚買ったものだ。100均の商品だったので、もし無くなったとしても、また買えばいい。ただ、無くなる可能性はほぼ無いに等しい。
部屋から戻ってきた男性看護師から、昼ごはんの空き容器を受け取り、家路についた。帰宅後も、なんだか奈津子の尊厳を無視されたような気がして、私はしばらく興奮状態だった。頭に血が上がり、感じたことのない頭部が締め付けられるような違和感を覚え、私は母が使っている血圧計を借りて自分の血圧を計った。159-99。見たことのない数値だった。毎月、循環器の医師に計測してもらうが、その際はいつも120台-80台だ。私まで脳卒中になってしまったらと少し怖くなった。なるべく心を落ち着かせ頭を下げないよう安静にし、落ち着くのを待って就寝した。
件の看護師は役割として言わなければならないのかったのかもしれない。仕事を分かりやすくするためルールを徹底したほうが悩まなくて済む。しかし本質を捉えて柔軟に対応する術を身に着けるべきではないのか。例えば、自分が産婦人科や他の診療科でもいい、この病院に入院したとする。その際、自分の下着やタオルにマジックで名前を書けと強制されたらと考えてみたらいい。普通の大人は嫌がるはずだ。我が身に置き換え、患者や患者家族の気持ちを推して尊重することも必要ではないのか。また素材、大きさ、用途についても考慮が必要だ。マイクロファイバーはインクが滲みやすいだろうし、タオルの場合、刺繡とか出来たらいいが生憎私はそんなスキルを持ち合わせていないし、今は習得する暇もない。
各病棟にハンディープリンターを配置し、入院時、記入の必要がある持ち物に名前を印字するとか、そういった工夫もあっていいかもしれない。ハンディープリンターは布にも印刷できるものがあり、曲面、平面のあらゆる素材のものに印字が可能。プリンターを手に持ち印刷面にあてがいスライドするだけで印字できる。漢字のフルネームでもいいし、患者IDのバーコードでもいい。一つ一つの持ち物にタグ付けができる。モノクロ、カラー、中には食用のインクが使えるものもある。数万円のプリンターでお互いの無駄な時間が減るなら合理的なのではないだろうか。これは余談である。
私も冷静に説得しなければいけなかったのだろうが、この看護師は多分どんな説明をしても書けと言っただろう。よく顔を見たら入院初日に他の看護師と連れだって二人で細かな持ち物にも名前をマジックで書くよう強制してきた看護師だった。
まだ動揺している私に妙な笑顔でお願いしてきた。その顔は動揺する患者家族に対し投げかけるに相応しくなかった。大概の大人は、いや子供だってその性根を見透かす。大方、自分たちが仕事するのが嫌だから書かせてしまおうという魂胆だったのだろう。本当にこんなものまで名前を書く必要があるんだろうか、そう思いながら私は独り病棟待合のテーブルで黙々と名前を書いた。半分も書いた頃だろうか、ベテランの看護師が「ご本人しっかりされてますから名前書かなくていいですよ」と私に声をかけ、荷物を引き上げてくれた。じゃあ、さっきの下りは何だったんだと思いながら私は帰宅し、翌日から奈津子の氏名を印刷した紙片を貼れるものにはすべて貼り付け差入れるようにした。不毛なやり取りで私の時間を消費したくないと思ったからだ。今の私の時間は奈津子の時間でもある。
実は私は以前病院に数年間だけ勤務したことがある。その時、いろんな看護師にもお世話になっている。私はその病院のICUの師長だったIさんの顔をよく知っている。病院の長い廊下を歩きICUに向かうと、廊下の一番先のほうで厳しい顔をしているIさんをよく見かけた。家族対応や部下職員への指導をされていたのだろう。私と会うと、Iさんは少し飄々とした感じだがいつも素敵な笑顔で対応してくれた。笑うのがあまり得意ではない私は、Iさんのような人を羨ましく思っていた。もっともIさんは、私のことを子供でも相手するかのように応接していただけかもしれない。まあ、それでもいいのだ。
笑えばいいというものでは無い。不適切な笑顔なら無いほうがいい。看護では「患者とその家族の心に寄り添う」という趣旨の言葉をキーフレーズとしてよく使っている。「寄り添う」は辞書によると「もたれかかるように、そばへ寄る」である。今回は確かに体は「寄り添う」状態だったが、話の内容的には圧迫でしかなく、心に寄り添ってなどなかった。
こんなことがあった。入院から4日程経った、確か、土曜日だったと思う。私は奈津子の病状と食が進まないことについて主治医と話がしたいこと、看護師にスマホのホルダーをつけて欲しいこと、その2件をお願いするため、病棟待合で担当看護師の手が空くまで待たせてもらっていた。私は待合にある長椅子の病室寄りの端に紙袋を携え座っていた。窓際のほうでは入院患者らしき高齢の男性と女性が寛いでいた。
そこに少し困った人が現れた。その人は病棟から不意に現れ、私の目の前を通り過ぎ、5メーターほど行ったところで、くるっと身をひるがえし私に向かってこう言った。「どちら様ですか、お名前は。こんなところで何しとるんですかぁ~」と、私を不審に思ったのだろう。その口調と不遜な態度は、かなり強烈なものだった。私は「いま担当看護師を呼んでもらうようにお願いしてます。」とだけ言い、相手にしないほうが得策だと無視をした。するとその人は「お願いしたぁ、ふぅーん。」と言い、私を睨み続けた。
おおよそ現代的ではない、この接遇。高齢女性。制服は看護師でも看護助手でもなさそうな青い着衣。これが昔、Iさんに教えてもらった休日看護シフトの苦しいところをカバーしてくれるOGなのか。私はそう思った。こうした元看護師の応援があって何とか地域医療が回っている。貴重でありがたい存在だ。
疲労と焦りを抱えた私は、いい表情をしていたわけではなかったと思う。百歩譲って、不審に思われても仕方ないのかもしれないが、そんなに不審なら警備でも呼べばいいのだ。「私はここに来るとなにか、あんたをまず探して頭を下げて名前を名乗らなきゃいけないのか。あんたは牢名主か何かか。ただ座っているだけなのに、なんでそんなこと言われなきゃならんのだ」。内心そんなことを考えていた。
「ご用件はお伺いしていますか?」とか「どちらのご家族様でしょうか?」とか、そんな声のかけ方が一般的だ。でも、ここまで奇天烈だとどうでもよくなるというか、私が我慢すればいいだけのことだと割り切る方向で脳内処理をした。
こんな風にある程度のことは折り合いをつけている。しかし、今回のこの理不尽はどうしても我慢ならなかったのだ。
21:00前、とりとめのない話を奈津子とビデオ通話でしていた。「自分が疲れているのかどうか分からない」と言っているが、奈津子の表情は眠そうだった。自主トレで、ベットサイドに両足だけで立ち、両足膝を少し屈曲し、再び両足をピンと伸ばす動きを繰り返す訓練をしたという話をしてくれた。右の膝関節がピンと真っ直ぐにならなかったのが少しピンとなるようになったかもと今日の成果を教えてくれた。消灯の時間になり奈津子側の映像が真っ暗になった。顔の見えない奈津子に向かい手を振り、お休みの挨拶をして通話を終えた。
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