15日目
朝の会話。表情と声がかなり良くなっている。
夜はまあまあ眠れたそうだ。好ましい変化。寝るコツがつかめそうな気がしているとも言っていた。 朝ごはんも、ちゃんと全部食べたと言っていた。ご馳走様でしたという意味のLINEスタンプのタイミングが思っていたより早く、だんだん食べるスピードが上がってきたのかもしれないと思う。
食後やはり疲れた表情は見せているものの、徐々にその度合いが少なくなっているようにも見受けられる。
排尿の管を抜いてもらった。ポータブルトイレになり、一度ちゃんと座って出すことができたと報告してくれた。私も子供のころ同じように尿の管を入れていたことが何回かある。抜管するときにかなり痛かった記憶がある。それを思い出し少しムズムズした。男女で尿道の長さが違うから痛さの違いがあるとかそんな話だったような気がする。
リハビリが3回。装具を付けて一時間ほど歩く訓練をしたそうだ。想像だが、歩行に関しては高齢者と違い左の筋力でなんとかこなしてしてしまう分、リハビリが早く進む様な気もする。
午後はLINEビデオ通話の不具合の対応も兼ねて、午後4時ごろに晩ご飯の差入れをした。
奈津子のスマホの機種が悪いとするならと思い、使っていないSIM無し携帯を合わせて利用することで解決できないか試すことにしていた。結果、奈津子のスマホはテザリングができないことが判明しその方法はあきらめた。次に無料Wi-Fiが病棟待合付近で拾えた。実際ビデオ通話ができるか確かめたところ通話が可能で動画のやり取りもできた。それなら病室でも使えるのではと思い病室で試してもらったが、残念ながら無料Wi-Fiは繋がらなかった。なかなか思うように行かない。作戦失敗である。
レンタルで持ち運びできるWi-Fiルーターを借りる方向で検討することにした。
主治医と会うことができた。昨日今日の検査結果が気になっていたので話を聞きたかったところだった。病状説明を受けることになった。
まず、懸案だった腎臓の造影検査。画像確認しながら特に現状問題ないとの説明を受けた。これが動脈だと言われたところは、細くなっているところもなく、スムーズな流路を確保できているように見える。線維筋性異形成症が永続的に否定されたわけではないが、ひとまず安心してもいいのだろう。ただ、モヤっとした不安感はなかなかぬぐえない。そして、これで原因不明と整理にされることになる。
次に脳内の血流量をサーモグラフィ的に図示する画像を確認した。今日の検査はこれだったのだ。水平面の断面画像で左右差をみて、血流の不足がないか確認するそうだ。梗塞した箇所の血流も特に左右差はなさそうで、脳全体の血流もざっくり見るとほぼシンメトリー。問題ないという見立てだった。
血管造影画像で脳内の他の太めの血管も問題なく伸びており、脳全体で血流の確保ができている。血液検査でも異常値もなく、腫瘍マーカーの値もマイナス。血圧も低めだが安定している。リハビリを重ね回復する環境整備として点滴や排尿の管など動きを制限する要素を徐々に減らした。体を自由に動かせるようになることで伸びる部分もある。今後解離が進む可能性もあるが、当面現在の治療・リハビリを続ける。原因は今のところ分からないが、この若年性の解離が起きてしまったことに当事者や家族が気に病む必要はない。という説明だった。
予知予測、予防のできる病態ではないとも説明された。確かに脳ドックを受けていたとして造影剤を使った検査をするわけでもなく、仮にしていたとしても解離の予兆も分からない。解離は突然起きる。
説明を聞きながら入院以降に起きたことを頭の中で考えていた。
たらればの話だが、仮に救急搬送の日に通常の脳梗塞のリスクファクターがないことから解離を疑い、迅速に造影検査を行い、MRI等画像検査で解離であることの確認がとれていて、狭窄部にステントの留置がなされていたなら、また違う結果になっていたのだろう。
ただ、搬送された時間が夕刻だったこと。そして非造影検査で血管が太くなっているような異常な所見が特になかったこと。また、初日は症状としては一時的な虚血から回復していて本人が普通に体を動かせていたこともあり、そこまでの緊急性を帯びた状態ではないと判断されても仕方なかったのかもしれない。
そして、都会の専門的な病院などに比べ、スピード感とか検査機器の精度や運用体制などが違うこともあり、どうしても同じスピードで対応できない。まず造影CTを撮るとかそうした病院だったなら。日本の中でも、同じ状況で初日の対応ができる病院と出来ない病院が当然あるのだろう。
想像だが、おそらく奈津子の最近の片頭痛は少なくともこの狭窄部の異変により起きたもの。救急搬送された際、すでに微小に裂けていたところに血小板が作用し凝集していたのか、RCVSのように一時的に血管が緊張状態にあったのか。あるいはその両方だったのかもしれない。
もう一つ考えられるのは、最初の発作時に明らかな解離を起こし、一度中膜と外膜は大きく離れていた可能性だ。
そして搬送中の救急車の中で、一度血行が改善され極度の虚血状態から解かれた。救急車を呼ぶまでの判断に数分。救急車を待つのに20分。救急車が走り出すまで数分。時間的に30分程度で一度改善したのだ。そして翌朝本格的に解離し始め、搬送された日の検査ではうっすら白く映る程度だった部分がはっきり白くなり脳梗塞であるとそこで診断された。解離は数日かけ徐々に広がり虚血が解かれることもなく梗塞部が広がった。こんな流れなのだと思う。
現状どういった形状で解離しているのか、中膜の穴が1つなのか2つなのかも分からない。ただ虚血は一度解かれたことは確か。血流を阻害していた凝集した血小板が溶けたか、解離が自然治癒し中膜が元の鞘に納まったか、つまりリモデリングしたかのいずれかだ。そのきっかけは奈津子が発作と同時に口にした脳梗塞患者には禁忌である片頭痛治療薬「エレトリプタン」が血管収縮作用をもたらした結果なのかもしれない。だとしたら、たまたま安定した状態に落ち着いたことになる。ただ、これは想像でしかない。
いずれにしても搬送後開始された抗血小板剤の投与は、その安定した解離層を積極的に崩しにかかった形になったはずだ。血管内部に凝集した血小板を徐々に溶かし、9時間程度かけ中膜の開口部を抗血小板剤の混ざった血流に暴露したのだ。そしてその開口部から解離が進展したということになる。
ただ、これは単純に責められない。血栓なのか解離なのか分からなかったのだ。だから脳卒中治療の定石的な抗血小板剤の投与をしていたはずだ。
問題はここからである。4日目の金曜日の時点で血管撮影しないことになった。この時に脳外科医が何を言ったのか。私はこんなことを言ったのではないかと考えている。「これをこれからリスクをとって血管撮影して、君は何をどうしたいと思っているの」とか「こうなる前に相談して欲しかったな」とか「こうなっちゃったらもう救える物が無いのでは」とかそんなことを言ったのではないか。外科医的に、内科医に対し当たり前のことを言ったのではないのかと。
例えばこんな可能性だってあった筈だ。それは2日目に血管撮影を脳外科医に相談していたら、脳外科医は血管撮影のオペをGO ONしていたと思うのだ。そして、解離層を確認し、その場で脳外科医が判断して、検査のために入れているカテーテルを使って、局所的に開口部付近で凝固剤を作用させたり、血流を妨げる不要な血小板を回収したり、場合によってはステントを留置したりと、解離の状況に応じた処置が出来たのかもしれない。
2日目の段階では、奈津子は麻痺があったものの、まだ自分で歩けていたのだ。そこで損傷を食い止めることが出来ていれば、また違った世界線に今、私たちはいる筈だ。
なぜ金曜日にやらないものを、水曜日にやるのか。それは切る甲斐があるかどうかの違いだ。脳梗塞による損傷に可逆性はない。例えば野球に準えるなら、失点はあっても得点はない。抑えのリリーフエースの登板は、リードしている試合でこそ有意性があり、大敗が確定的な失点をしていた場合「え、俺投げなきゃいけないの」と無意性を唱えたくもなる。つまり、金曜日の段階で既に後の祭りだったのだ。そしておそらく、この段階で「これは解離だね」と脳外科医も主治医も薄々気が付いているのだ。
私が腑に落ちないのは、この主治医が解離だった場合の対処の説明を変容させていることだ。そしてその変容を取り繕うこともなく、この主治医はしれっとしているのだ。
「解離だと判明したら固めることを選択した方がいい」と言っていたのが、「解離でも血栓でも抗血小板剤の投与を続けていく」と変容している。普通では考えられない状況だ。嘘でもいいから何か説明しろよと私は内心考えていた。
「繰り返し申し上げますが、解離でも血栓でも抗血小板剤の投与を続けていくことになります」と大きな声で何度も言っているだけだ。
それはなぜか。面倒だから、体裁が悪いから、係争事案にしたくないから。多分そんなところなんだろう。真面目で誠実そうなところもある。ただ、この医師は若い。説明下手と我慢のなさが目につく。
病状説明があまり上手なタイプではない。相手の理解度を推し量りながら、説明と納得の差が収束しないのだ。ひどいと階段を一段飛ばしするような説明をする。
また、医師が持つ胆力みたいなものを感じさせない。大概の医師は「病巣付近のレイヤーを俯瞰して把握してますよ」というオーラがあるものだ。だから患者やその家族は耳を傾け、信頼する。この医師はややもすると「脳の中のことは直接見えないので良く分からないんですよね」と自ら思考放棄して見せることがある。そして、気に障ると大声になったり、早口になったりする、私が初めて対面するタイプの医師だ。
解離と分かったのも入院から9日間経過した5月6日の金曜日。完全に右が麻痺してから1週間もたった後だ。ゴールデンウィークで運が悪かったと言われるが、その前の入院から2日間で脳梗塞が広がり、もうどうにもならなくなっていたのである。
例外中の例外。レア中のレアな原因不明の脳動脈解離。43歳の若年女性。高血圧、脂質異常、飲酒、喫煙等の一般的な脳梗塞のリスクファクターは何もない。
出来うる検査をした結果、特にこれといった原因が判明しなかった。RCVSだとしても分かるのはずっと後のこと。線維筋性異形成かもしれないし、ゲノムの塩基配列の段階で血管の脆弱さが既定されている可能性だってある。要は今、何も分からないのだ。原因不明という説明は「もうこれ以上は調べない」と言っているのと同じなのだ。
立場上、分からないことを分かれと説明しなければならない主治医も内心苦々しく歯がゆい思いをしているのだろう。私も同じ立場だったら、どうしてこうなったのか考えると思うと主治医は言っていた。
活動しなくなった脳細胞は、どんなに悔やんでも元には戻らない。詮無きこと、むなしい思考なのは分かっているが、なぜこんなことになったのかを考えないわけにはいかない。
「裏目が出て、後手を踏み、原因不明、解離が今後進展する可能性」この4つをひとまとめにして喉元に入れろ、それが飲み込みづらいのなら「脳血流良好、リハビリ良好、やる気充実」を煎じた液体で流しこめ。そう、この人は言っているのだろうか。
脳血流の解説の辺から、主治医の説明を念仏でも聞いているような心持ちで、私はこんなことをぐだぐだと頭の中で考えていた。文句の一つも言ってやりたいが、何を言ってもかみ合わない相手の語る言葉に期待を持つのもどうかとも思った。矜持が傷つくのか、ただただ怯えているのか、いずれにしても度し難い。
ただ、今何より大切なのは奈津子だ。今窮地にいる奈津子に手を差し伸べて引っ張り上げてやらなければならない。当面転院が出来る状況でもない。
「人質に取られているようなものだな」。それが私の中で言葉になったとき、その飲み込み辛いものを飲み込むことにした。ため息が出た。仕方なく飲み込むが、やはり今後の不安が胸につかえた。
奈津子は「智則さんが分かっていればいいから」と、この辺の理解を丸投げしてくれている。後に起きたことについて私の想像を話してやるのが精一杯なのだろう。
脳動脈解離における外膜・中膜・内膜の関係
ステント
カテーテルの挿入
血栓回収療法
腫瘍マーカー
エレトリプタン
朝昼晩ご飯
ようやく米飯を撮ることを考えた日。
奈津子は白米のおにぎりを好まないため、基本的にフリカケや鮭フレークなどの味付けを要求する。
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