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12日目


  • 数日前と比べればよく分かる程、表情は良くなっているのだろう。毎日少しずつ良くなっているのが分かる。ただ、今日も微熱がずっとあり、頭痛のためお昼ごろに痛み止めを飲んだ。

  • 私はここ数日間、蓄積した疲労を覚えていたが、だいぶ回復した。昨晩、久しぶりにまともな食事をとったからかもしれない。まともと言ってもラーメンだったりする。ここまで朝昼は野菜生活を200CCくらいずつ飲み、奈津子の食事を作る時に食材の切れ端で食感や塩味を確認するため味見をする以外は基本食べていなかった。夜は、ビールとスーパーで買って来た総菜パンなどを食べていた。自分のために食事を作る気と食欲が無かったのだ。

  • 食事作り、洗濯、奈津子からニーズのあったものの調達など、日々必要な作業のほか、いろいろと宿題があったものを片づける日だ。

  • 自動車税の納税、奈津子の診断書の発送準備は明日することにして、懸案の2つをやっつけてしまいたいと思っていた。

  • 一つは、奈津子が入院してから数日後、キッチンの換気扇のモーターから、けたたましい異音がするようになり、換気扇が使えなくなっていた件。

  • たまたまいい天候が続いていて、換気扇をOFFにして窓を開けて乗り切ってきていた。雨が降る前に直しておきたい。また、風がないと調理をしている匂いが部屋にこもるのも、ちょっと嫌だった。

  • 現在の家は奈津子と結婚する少し前に新築したものだ。奈津子と同じく二十数年この家で経過した換気扇である。20年もすると家のいろいろなところが壊れてくる。昨年は玄関のキーシリンダー、トイレの止水弁、洗面台の立水栓などを部品を調達して交換していた。玄関はついでにディンプルキーに換えた。

  • 生憎、同じ製品や同じモーターを新品では手に入れられない。モーターに刻印された製品コードを検索してみると、同規格のモーターをDIYで直した人が親切にもブログ的にその方法を書き残しているWebページを発見した。

  • 部品代がボールベアリング2個で500円程度。やったことが無かったが、業者に頼んでレンジフードをマルっと取り替えるよりは、これを参考にチャレンジしてみる価値はありそうだと思い、Amazonで必要なものを調達していた。

  • 奈津子の朝食を届け終え、ガレージでモーターを分解して部品の交換作業をし、再び組みなおしたモーターを取り付けて換気扇をつけてみる。作業は成功。異音は無く正常に動いている。

  • こんな感じで人の体も修理できればいいが、そんな訳にはいかない。人の体はどの部位も代え難い。緻密で精巧にできている。

  • 骨や血管など、物によっては人工物との置換が行われるものもある。実は私の大動脈弁も人工のものだ。レントゲンで見るその大きさは10円玉ぐらいで少し厚みがある。このボールベアリングと同じような大きさかもしれない。左心室の出口で心拍に合わせてカチカチと音を立てながら動作している。

  • 手術を受けたのは36年程前、かなりの時間が経過している。当時、医大の先生に「ドイツ製だよ」とか言われていたが、それ以上のことは知らない。かかり付けの循環器内科の医師も「どれくらい持つものかは、誰も確かめてませんからね、、」という代物。そういった意味で私の命は明日をもしれない部分がある。機械弁としてリークが始まり交換時期を知らせるのか、突如クラッシュするのか、そんなところだろう。

  • よく知らないが、現代の人工弁はもっと高性能で高耐久なのだろう。奈津子の脳梗塞の勉強をしていた際、抗凝固剤を服用する必要のないステントの存在を知ったが、人工弁もより便利で快適なものに進化はするはずである。だからと言って付け替えたいとは今のところ思っていない。

  • もう一つ気が付いたのは大動脈弁を置換していると、脳にカテーテルを入れずらいか、入れられないのではという疑問だ。生体の3枚の弁なら、暖簾をちらっとよけるように通るのだろうが、人工弁は貫通しない様な気がする。もしかすると低侵襲で入れられる方法があるのかもしれないが、具体的には想像できない。きっと、脳動脈乖離になった場合、やたらと治療が面倒な患者になるのだろう。

  • 奈津子より私は7つ年上であり、こうした既往がある。以前は漠然と奈津子より先に死ぬんだろうなと思っていた。だが、奈津子がこうした状況になると少し考えなければならない。長生きは無理にしても、なるべく一緒にいてあげるべきなのだろう。

  • 換気扇を直しながらそんなことを考えていた。

  • 午前中、奈津子は入浴・洗髪をしてもらい、さっぱりしたと嬉しそうに喜んだ。ずっと気持ち悪い思いをしてきた分うれしかったに違いない。

  • 懸案の2つ目は、奈津子がベットで使っているスマホホルダーの改良の件。スマホの操作に自由に使えるのが左手だけなので、スマホを支える道具が必要だった。脳梗塞が深刻化したあと、取り急ぎ100均で買ったグネグネと自由に曲げられるタイプのスマホホルダーを見つけて使っていた。ベットにずっといるので、ベットの左側の柵にスマホホルダーをクランプしていた。

  • 私は、実際の使用状況や姿勢などがよく分かってなく、看護師の言っていた必要に応じてホルダーを移動させている理由とか、奈津子のもうちょっとこうなったらというニーズが理解できないまま、少しずつ改良を施していた。

  • オーバーテーブルにホルダーを取り付けたら前後に動かせるしいいんじゃないかという話を度々したが、奈津子の要領の得ない回答に、また今後聞き直そうとその話を終えるということが続いていた。

  • 少し値の張るスマホホルダーをネットで購入。柵の丸いパイプ一本にクランプするような製品はなく、仕方なく机など板状の水平な土台にクランプするタイプの製品を購入した。


  • 強引にパイプに設置させてもらったが、本来のつけ方とは異なり奈津子のお眼鏡にはかなわなかった。

  • さらにネットでスマホホルダーと柵のパイプをがっちり固定できるオールメタル製の汎用クランプを購入した。これなら看護師が動かしても安定的に固定できるはず。しかし、このクランプは日の目を見なかった。

  • この日何かしらこのスマホホルダーを改善しようと決めていたので、前もってオーバーテーブルと汎用クランプのどっちを選択するか、時間をかけて奈津子に聞いてみた。

  • まずオーバーテーブルが手元まで引き寄せられる状態かを確認する。奈津子は「手元まで来ない」という。オーバーテーブルが柵に干渉しているのか、高さが低いのかを尋ねると「柵を超えてない」という。柵のほうがオーバーテーブルの板の下より高いんだねというと「そう」と返答。オーバーテーブルの高さを高くしてもらったらいいんじゃないかと尋ねると「その必要性は感じない」という。ちなみに看護師に頼んだらすぐ高さは変えてもらえる。この辺でおやおやと思い、今まであきらめていたがこの日何かしら方針を出したいと考え少し前に話を進める。点滴か心電図のラインか尿のバッグが干渉している可能性もあったがあまり考えづらい。ラインなら引っ張られるから分かるし、尿のバックはベッドのアンダーフレームあたりにぶら下がっているはず。ご飯はどこで食べてるのか尋ねると「足の上とか横に置いて食べてる」。オーバーテーブルの上で食べたほうが食べやすいのではと尋ねると「よくわからない。私そういうことが考えられなくなっているみたい」。ここで我に返る。そして「立体的なものの考え方とか、そういうことがしづらくなってるのかな」と言うと、「うん」と答えが返ってきた。

  • ひとまず2人で簡単に相談し、オーバーテーブルに取り付けてみようということにした。ダメならまた元に戻せばいい。私が担当看護師にお願いしてみようと思った。

  • 奈津子の晩ご飯を作りながら、入院以降の奈津子とのやり取りを思い出す。頭脳明晰な奈津子らしくない違和感を覚えた点が、空間認知と関係しているような気がした。私の考えすぎなのか。

  • 空間認知が弱くなっているのか、対人的な交渉が億劫になっているとか、興味のないことを考える集中力がないのか。空間認知だけではなく左脳の一部が機能しなくなったことで左脳全体の能力が一時的に低下しているだけなのか。それとも一般的に脳梗塞の患者によくあることなのか。

  • 病院に行き、オーバーテーブルにスマホホルダーをつけたいと担当看護師にお願いする際、この件について実直に尋ねてみた。看護師として奈津子を見て感じていること、そういった所見があるかどうかを療法士に説明を受けたいという意向は伝えておくということを丁寧に説明してもらった。

  • オーバーテーブルの左端より少し中央寄りにスマホホルダーをつけてみた。奈津子は、これでしばらく使ってみると言っていた。

  • パイの実を2つ食べられた。

  • 就寝前、奈津子は、嬉しそうに点滴のラインが無くなったことと、ずっとつけていた心電図の電極が外れたことを報告してくれた。点滴については前日、病状説明の最後に主治医がそんなことを説明してくれていた。栄養状況改善があるので、補助的な点滴が不要になるとのことだった。ただ一日に数時間、治療薬剤の点滴は必要。あとは排尿の管が残っているが本人は点滴と心電図の拘束が無くなったことに開放感を覚えているようだ。心電図については、解離だと判明したので、不整脈や細動などの心臓の周辺に血栓の原因があるかもしれないという命題の前提が崩れたため終了したのだろう。私は良かったねと彼女のうれしい声に答えておいた。

  • 本人は程よく疲れ、今日も大変だったと言いながら眠りについた。大概夜中に目覚めてしまうと奈津子は言う。今夜はよく眠れるといいが。

  • もしも悪魔がいたとしたら、大きなフォークの様なものに現実を突き刺して私の眼前に掲げながら「今度はこんな現実はどうだい」とでも言っているような、そんな日がここ数日続いている。

  • しかし私は冷静でなければならない。


ボールベアリング
Amazon_
オーバーベッドテーブル
大動脈弁置換術(AVR:Aortic Valve Replacement)

 

朝昼晩ご飯






 

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13日目

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