1日目 異変・救急搬送
発症 4月26日(火)16:00頃
この日、奈津子は有給休暇を取っていた。午前中から色々と家事をし、一段落。昼寝のため、奈津子は寝室のベットに横になっていた。
「調子が悪くなったから来て欲しい」と、キッチンにいた私の携帯に電話があった。この時点で不安が広がった。「片頭痛の薬を飲みたい」と言ったので飲ませたが、様子がおかしい。辛うじて薬と水を飲み込んだ瞬間、激痛が走ったのか、奈津子は頭を押さえてベットに仰向けになった。
奈津子は左手で布団を体にかぶせ、顔を出してこちらを向いている状態。顔の右半分が無表情。反対の左半分は酷く歪んでいた。「右手を見せて、動かしてみて」と私が言うが、奈津子は布団の中で左手をぶんぶん振り、大丈夫だと言う。「それ左手だろ、いいから見せて」と私が言うと、奈津子は沈黙した。「右手が動かないの」「うん」「右足も」「うん」。
本人は薬を飲めば治ると言っていたが、典型的な脳卒中の症状。意識はあるが、頭部に痛みを感じているようだった。
リビングのPCまで走り、脳卒中とあと一つ何かキーワードを打ち込みGoogle検索し、リザルト画面を見た。「すぐ病院に連れて行けば助かる」そう私は思った。
私は119 番で救急車を要請。最寄りの救急車が出払っているため、他地域の救急車が手配され、時間がかかる、とのことだった。
いずれにしても私一人で安全に搬送できないため、待つしかなかった。寝室は2階にある。
20分程度で救急車が到着。バイタルチェック後、搬送された。
私は救急車の後を、自家用車で病院に向かった。私が救急外来に到着したのは16:46。おそらく、その5分程前には救急車が到着していたと思われる。
私は救急外来の中の長椅子に腰を掛け、スマホで得られる脳卒中関係の情報を頭に叩き込んでいた。TIA、RCVS、脳卒中患者が救急搬送された後の流れ。
救急外来の担当の女性の医師が、状況を説明してくれた。これから検査に行くことと、救急車の中で回復し、現状本人は元気にしているということが伝えられた。
ストレッチャーに乗り、検査室に搬送される奈津子は、私に手を振って「行ってきます」と言っていた。顔の表情も穏やかで、先ほどの発作があったことも気にはしていない様子だった。
CT、MRIの検査所見では、特に問題は無かったとのこと。
ストレッチャー上で右手でペンを持ちサインをしたり、体を起こしたり普通に奈津子は振舞っていた。きわめて明るくだ。
後に主治医となる脳神経内科の医師も救急外来に訪れ、問診等を行った。
ひとまず抗血小板剤などを投薬して様子を観る。期間は1週間程度、入院することになった。奈津子は個室を希望した。
救急外来の男性看護師は、個室を希望していることについて上からマウントをとるように語気を強めに「希望通りにならないこともある」と奈津子に言った。寄り添う姿勢を微塵も感じさせない、不遜な態度だった。奈津子はただ気丈に振る舞いニコニコしているだけ。個室を希望しているだけなのだ。内心「それは言い過ぎだ」と私は思った。奈津子の気を削ぎたくなかったので、黙って背中で聞いていた。
人命や健康、人権の危機、病院運営の妨害、感染防御とかそういった場面で、そういった姿勢で対処しなければならないケースもあるのだろうが、これは違う。奈津子は福祉部門の主管課からキャリアをスタートさせている。病院運営の苦しいことも、具体的にはわからないが事情は認識している筈だ。明らかにこの看護師は言い過ぎた。言葉を尽くして丁重に事情を説明するに、止めるべきだったのだ。「いつもこんなこと言っているのか、こいつは」と、私はかなりムカついた。
私は病棟まで一緒について行ったが、コロナ渦で病室には入れない。入院に必要なものを揃えるため一度帰宅し、スーツケースに1週間程度の入院を意識して、眼鏡やコンタクトレンズ関係の物、下着、タオルなど必要なものを詰め、また病院へ行った。
この日、私はこの発作が一時的なものであって欲しいと、ただ、そう思っていた。
元気に振る舞う奈津子と麻痺に襲われた奈津子。その残像に、楽観と悲観が行ったり来たりする、そんな夜だった。
注:冒頭4日間は、7月5日に新たに記述や修文をしている。その他は、基本的に当日か翌日に記録している。
TIA
RCVS
抗血小板剤
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